オレオのアニメ・ラノベ・ネット小説評論とか

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ネット小説のタイトルの長文化について思うこと

 自称アニメ・ラノベ評論家。オレオだ。今回は、インターネット小説のタイトルの長文化やその効果について話していこうと思う。大部分が私の個人的な意見だが、ぜひ見ていってほしい。

 最近のインターネット小説では、タイトルが本の帯に書いてある宣伝文句またはあらすじのようになっており、文章化してきている。原因は、インターネット小説を掲載するサイトやアプリに日々無数の作品が投稿されることにより、自分の作品が注目されることなく埋まってしまうことを防ぐための手段として進化してきたからだ。
 小説サイトの検索画面やランキングには、スマホの小さい画面に対応してか基本的に作品のタイトルしか表示されない。ということで、作品の魅力を伝えるために最も有効な手段として「タイトル自体で作品の内容を伝える」が開発されたのだろう。そうすることで一目でどんなジャンルかわかるから、とりあえず読んでみようと思う人は増える。それが作品を読んでもらうことに直結し、作品を読んでもらえる人が増えればランキングに乗って多くの人に目に触れるかも知れない。まさにタイトルは作者にとって生命線ともいえるものなのだ。

 さて、作品のタイトルが長くなっている理由の大きな部分は説明したので、これについて私が思うことを書いていこうと思う。あくまで個人的な意見なので、作者や出版社の考えとは違うことを言っているかもしれないがその時は訂正してほしい。先に言っておくと、私はできるならタイトルは文章的にせず、作品の象徴や名言などにすべきだと思う。あらすじだけ読んで読んだ気になったり、衝撃の事実は作品を読んでいくうちにわかったほうが楽しいからだ。
 タイトルが長くなってしまうこと自体は仕方ないと思う。先ほど書いた通り、目に留まらないと作品はないのと一緒になってしまうし、せっかくの自信作が埋まってしまうのは読者としてもとても悲しい。その上で私が嫌いだと思うことがいくつかある。

1.「長文タイトル~長文で説明~」

 長文タイトルを書く時点で大分わかることは多いのに、その上さらに情報をサブタイトルとして追加するものだ。確かに情報は多いほうが読者はつくのかもしれないが、これでは読む前から話がわかってしまう。小説に限らず本というのは内容を読んで楽しむものであるのに、その前からわかってしまっては急展開が起きたときに全く驚かないし、これからどう主人公が成長していくかもまるわかりだ。推理小説で犯人や殺害方法をタイトルに書いているようなものだ。さらに、その作品を知り合いに紹介するために長いタイトルを言うのはとても疲れる。略称ができれば略称でしか呼ばれなくなってしまうのだ。それは小説として楽しいのか?もう少し削れなかったのか?と私は問いたい。
 
2.出版されてもそのままの長文サブタイトル

 1のようではなく、メインタイトルは従来の単語を2個程度つなげたものだがサブタイトルで説明している作品も多い。それは良いと思う。タイトルにインパクトがあるし、呼びやすく話題になりやすいだろう。ただ、目につくためのサブタイトルを本にしたときにまで残す必要はどこまであるのだろうか。私は、サブタイトルは目に留まるためにあらすじを書いただけであって、タイトルには含まれないと思っている。タイトルは、その作品を一番よく表している言葉であり、それといったらこういう話、こういうキャラというのを印象付けるものだ。だから、説明に過ぎないサブタイトルは出版された時点でなくても困らない存在になるはずなのだ。本には、絵師が描いた可愛いキャラの絵や出版社の宣伝、出版社そのものなど、タイトル以外に読者がそれを買うに値するか判断する材料が無数に存在する。さらに、裏面にあらすじが書いてあることも多いのだ。ネット小説原作の小説を本屋で見ていると、本の側面や表紙が文字で埋まっていたり、とても小さい字で無理やり表紙にサブタイトルを入れている作品を多く見かける。これでは、表紙がごちゃごちゃしていて見づらい。漫画にするときもアニメにするときもタイトルのデザインに苦労すると思う。だから、商品化する際にはサブタイトルを消して、ドーンとゴロが良い、親しみやすいタイトルにすべきだと考える。


 今日はタイトルの長文化、そのメリットとデメリットについて書いてみた。タイトルを考えるのが難しい、どのようにするか迷っているという人の助けに慣れれば嬉しい。私は、作品の説明はサブタイトルとして、メインタイトルはビシッと決めると良いと思う。