オレオのアニメ・ラノベ・ネット小説評論とか

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ライトノベルの表紙の今と昔。「キャラクターの絵の扱い」について思うことPart1

 自称アニメ・ラノベ評論家。オレオだ。外出自粛で日光を浴びていないと、免疫力が落ちてただの風邪でも長引いてしまう。私はそれで最近辛い。皆さんも十分注意してほしい。1日1回くらいは日光を浴びるようにするとよい。
 それと、今回記事を書くにあたってライトノベルの表紙の画像を載せようと思ったのだが、著作権法違反が怖かったのでやめた。色々調べたが違反にならない確証が得られなかったのだ。もし詳しい人がいたら教えてほしい。


 今回は、最近のライトノベルの表紙を見て感じて、私なりに考えたことを書いていく。ただの持論だが、見ていってほしい。
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ライトノベルの表紙の変化

 最近のライトノベルの表紙は、主にインターネット小説の影響で数年前と大きく変化してきている。詳細は分からないが、おそらく需要の変化であろう。どのように変わってきているのかを書いていく。

1.数年前まで

 まず、ネット小説が流行る前の表紙だ。こちらは、だいたいヒロインが1人ドーンと書いてある。女性キャラは目を引くし、その作品のかなめである。なんでも女性キャラを書けばいいというわけではないが、その作品を象徴するイメージの1つといえるだろう。主人公などの男性キャラが書かれることは作品を通してそう何度もないだろう。新巻が出るたびにキャラクターが変わっていく作品もあれば、少数派だがずっとメインヒロインが書かれた作品もあり、どちらもそれぞれメリットがある。
 前者は、その巻で主に活躍するキャラクターが書かれていることが多く、新キャラの紹介や読者に推しキャラを見つけてもらいやすいという点でとても優秀である。友人に作品を紹介するときも、「俺はこのキャラが好きなんだ!」と簡単に言うことができるし、本を並べたときに色々なキャラクターのカラーイラストが目に入るのはファンとして至福の光景といえるだろう。
 後者は、何よりもインパクトが強い。「この作品といえばこのキャラ!」と読者に覚えてもらいやすく、最後までメインキャラクターの魅力を追求し、伝え続けるその姿勢に尊敬するばかりだ。作者や本の制作にかかわった人たちの情熱を感じとれる。
 なお、もちろん例外は存在する。私が持っている作品では「甘城ブリリアントパーク」がそれに当たり、「主人公+ヒロイン1人」のことが多い。

2.近年新発売されたもの(主にネット小説原作の作品)

 最近の小説は、主人公を囲むようにたくさんのヒロインが書かれている作品が多くなった。つまり、「主人公+数名のヒロイン」ということだ。数年前までとは、大きく異なっている。人数が増えたことでかなり賑やかになり、豪華になった。さらに、技術が進歩したからなのか、それともそういう作品が増えたからなのか、キャラクターの背景や持っている武器に派手なエフェクトがついていることもよくある。
 なぜかは分からないが(いや、タイトルが入りきらないのではないか)、ネット小説原作の作品は大型の書籍になることが多い。本自体が大型化すると、表紙も当然大きくなり、従来の「ヒロインを1人」書くのでは枠が余ってしまう。だから、キャラクターをたくさん書いて、巻頭カラーイラストのようにしているのだと思われる。それが人気だからなのかなんなのか。文庫本サイズの作品も同じような表紙になっていったのだろう。
 とてもカラフルで豪華になり、より人の目を引きやすくなった。中には主人公一行の生活風景が書かれている作品もあり、技術の進歩に目をみはるばかりだ。ただ、逆に「このキャラクターに注目してほしい」という作者の意図が消滅してしまったので、「この巻といえばこのキャラクターの話」という話題が消滅してしまったのが悲しいところだ。
 おおむね好評化だと言えるのだが、残念なことに私は最近はその手の作品が増えすぎてしまったせいで「こういう表紙=なろう系」というイメージがついてしまい、敬遠してしまうようになった。いわゆる「地雷」というやつだ。


 私が一番話したかったのは「表紙における主人公の扱い」なのだが、またもや本題に入る前に文字数が大きくなってしまった。まあ、これはこれで一つの記事にするくらい語りたかったので次回に回すことにする。それで、皆さんは数年前と最近、どっちの表紙が好きだろうか。私はどちらかというと数年前のほうだ。1つの話に表紙のキャラクターがマッチしていて、表紙を見ただけで話が思い出されるのがとても心地いい。もう6年ほど前になるが、友人と「緋弾のアリア」表紙キャラあてゲームをやったのは良い思い出である。


 人間は、ある印象的な出来事があるとその周りで起きた小さな出来事も一緒に記憶するものだ。つまり小説は、作者だけでなく読者にとっても重要な思い出となっている。何年か経って読み返すと、前に読んでいた時の思い出がよみがえってくるのだ。だから、内容はもちろん、表紙も読者に大きな印象を与えるようにできているべきだと思っている。それがいつか、思い出を語る場でまた活躍するのかもしれないのだから。