ライトノベルの表紙の今と昔。「キャラクターの絵の扱い」について思うことPart2
自称アニメ・ラノベ評論家。オレオだ。空欄を埋めるというのは、なかなかに難しいことだ。何かやらなくてはならないが、やりたいことが多すぎて何もかもやっていると限界が来てしまう。バランスをとったり、何かをあきらめたりしなければならない。ブログやネット小説なら、やる気さえあれば無限に書くことができるが、売っている本やテレビ番組はそうはいかない。「中に収める」というのは、私のようなまとめるのが苦手な人間にとっては苦痛だ。納得がいくまでやっていたい。そういえば、人生というのも、無限に見えて実は有限だ。私がこの頃ゴロゴロしているのは、有限の人生を無駄に過ごしているのだろうか。私たちは、有限であるはずの時をどう過ごすべきなんだろうか。
なんか詩みたいなことを書いたが、今思いついただけだ。これは黒歴史確定。
前回の続きを書いていく。前回書いた通り、ここからが本来書きたかったところになるので、いつもよりも熱が入ってしまうかもしれない。今回書く内容は意見が割れると思われるので、あなたと意見を比べてみてほしい。
〇ライトノベルの表紙の「男主人公の登場」
私が一番言いたいことは、ずばり表紙の中の「男主人公の扱い」である。男主人公(以下主人公)は、前回言った通り全くその作品を知らない人にとっては客寄せ効果が女性キャラに比べて低い。そんな主人公が表紙を飾っている巻の印象について書いていく。まずは、主人公が登場するパターンを書き出す。
① 毎回ヒロインと1対1で登場
② 複数のヒロインと一緒に登場
③ たまに、または最終巻あたりで登場
④ 完結まで登場しない
こうなる。この中で、④は除外して①、②、③について思っていることを書く。
まず、①の場合。これはそこまで多くない。主人公とヒロインたちの関係性を巻を追うごとに確認することができ、表紙だけでも見ていてとても楽しい。隣のキャラクターが苦手だったら「こいつとかよ」と声が聞こえてくるような表情をするし、背中を預けられる相棒ならこのコンビなら無敵なんじゃないかと思わせるようなワクワク感を味わえる。時にはりりしい顔を見せる時もある。小説の挿絵は基本的にヒロインが書かれるので、主人公の色々な顔が見られるのは非常に貴重であるうえ、表紙を並べれば物語の中での主人公の成長を確認することができる。
次に②。こちらは前回書いた「最近のライトノベル」の表紙だ。ネット小説原作の場合はヒロイン枠のキャラクターが登場する頻度が非常に速いため、こうしないと紹介が追い付かないのかもしれない。これは、主人公をかっこよく描くというよりも、どちらかというと風景自体を楽しんでほしいという意図で書いていると思っているので、他とは評価の仕方を変えなければならない。ただ、主人公やヒロインたちを個別に見たとき、他の書き方よりもインパクトに欠けるのは間違いない。また、ほとんどの作品がキャラクターたちがワイワイガヤガヤやっている絵なので、主人公の覚悟に満ち溢れた表情というのはあまり見ることができず、残念である。
最後に③。これは、1巻ごとの表紙のキャラクターが1人の場合。ほとんどの巻が女性キャラに取られてしまっているので、出番が非常に少ない。その代わり、話の区切りや最終巻あたりの重要な話で登場する。その姿はまさに「満を持しての登場」と思わせる表情、格好となっていて、我々読者はその姿に圧倒されることだろう。まるで「こいつがいればなんでもできそう」と感じられる、重要な話の表紙を飾るにふさわしい絵となっていることが非常に多い。
〇もっとも読者の心に残る表紙とは
さて、それでは「主人公の扱い」と前回の内容を踏まえたうえで、どの書き方が1番これから読む読者、そして読み終わった読者にとって良いのかを私なりに結論付ける。
最初に結論を言ってしまおう。それは
「その巻で1番注目のヒロインを1人描き、最終巻またはその前の大事な巻で主人公を書く」
だ。理由はちゃんとあるので、書いていこう。
まず、読者にとってとても分かりやすい。表紙に1番活躍するキャラクターが描いてあれば、そのキャラクターの絵を見て読んでみたいと思う人が出てくる。「やっと自分の好きなキャラが活躍する!」と喜ぶ人もいるだろう。読み終わってしばらく経っても、表紙と内容がリンクしているから表紙を見ればどういう話なのか思い出せるし、好きな話を何度も読んでみたいと思える。読者の記憶に強く残った小説は読者の考え方につながり、大きな知的財産となるだろう。
また、主人公の扱いだが、個人的には1回限りの登場が1番良いと思っている。最初は頼りなかったり、心が未熟だった挿絵に出てきた主人公。それが、話を追うごとにどんどん心身共に成長していき、最後の最後で「主人公は俺だ。ついてこい!」と言わんばかりの気迫を伴ってどうどうと表紙を飾るさまが堂々と描かれる。物語をまとめるにふさわしい表紙だと思うのだ。これは、最後の最後まで表紙に出てこないからこそ出せる効果であると思う。
そして、個人的にあまり好きではないのが「なろう系」の表紙。とくに大型のやつである。なんといえばいいか……。表紙というのはその本を代表する絵であるはずなのに、バトル系でもスローライフをしている絵であるとか、ヒロインたちに囲まれて笑っている主人公を見ると「こいつら真剣に生き抜く気あるのか」と思ってしまうのだ。思い込みが先行してしまっているせいもあるのだろうが、どうしても好きになれない。単体で見れば豪華な絵なんだけどなあ。
どうだっただろうか。皆さんはどういう表紙が好きなのか。ぜひ教えてほしい。というか、この話はいくらでも語れる自信があるので、話せる機会があれば話してみたい。便利なツールはないものか……。
今日はなんと閲覧数が100を超えたということで、非常に嬉しい日だった。100人の目に留まったとは考えにくいので、いろいろな記事を見てくれた人がいたのだろう。どちらにしても、共感してくれる人が増えるのはブログを書く1番のだいご味であると思う。