オレオのアニメ・ラノベ・ネット小説評論とか

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小説に回想やギャグシーンを入れるときはタイミングに注意!Prat2

 自称アニメ・ラノベ評論家。オレオだ。小説家の皆さんは、どういうときに小説を書くのだろうか。私はブログを書くときは、内容が思いついたとき、気が向いた時だ。義務感でやってたらやっていられない。プロの小説家はなんて大変な仕事をしているんだろうかと思うと、頭が下がるばかりだ。

 

 

 前回の続きを書いていく。前回は、回想やギャグシーンを入れるタイミングを2つ紹介した。今回は、前回書ききれなかった場合を書く。

 

〇どういうタイミングが良いのか2

 

 戦闘中(別に物理的でなくても、頭脳戦でも可)一息つくシーンに入れる方法がある。これは、雰囲気をぶち壊す可能性が非常に高いので、上級者向けだと思われる。当然だ。かなり緊迫感のあるシーンでわざわざ間の抜けた発言をしたり、ハプニングにつながる行動をするやつなどいない。いるとすれば、相当マイペースなやつか、場を荒らしたいような迷惑な奴だ。回想にしても、とても緊張している中で別のことを考えていられる奴というのは基本ろくでもないので、キャラクターとしても作品としても失格だ。

 そんな中でもしギャグシーンやハプニングシーンを入れるとすれば、最初に言った通り「一息つくシーン」である。休憩中や休戦状態になったときに書くのが一番いい。そして、これが一番大事なのだが、「わざわざギャグ・ハプニングシーンを入れるメリット」を考えるべきだ。ただ気を紛らわすためだけなら、メリットよりも読者の気をそらしてしまうデメリットの方が大きくなってしまう。読者にあえてこのタイミングでそれを見せる必要性があったときに使うことが重要だ。

 刑事ドラマなどでは、本人はよくわかっていない何気ない行動が事件解決につながることがある。ギャグシーンのおかげで主人公がひらめくわけだ。こんな感じで、「これがないと話が進まない」というレベルでないとわざわざこれを入れる必要性を私は感じない。それだけ緊迫した状況を捻じ曲げるのはリスキーなことなのだ。

 さらに、毎回やるのはご法度だ。球に投げるから変化球は決まるのであって、それが当たり前になってしまっては読者はなれてしまう。

 これだけデメリットを挙げたが、それでも挑戦する価値はあるだろう。普段は理性的で頭が固い主人公が、緊迫した状況で心の底から笑ったら、私たち読者までまで楽しくなってきてしまう。物語の進行に加え、主人公の新たな一面を開拓することまでできるので、ネタが切れてきたり同じことばっかだなと思ったらやってみるといい。

 

 暇な時間だ。移動時間や待ち時間のシーンは、自然とたわいない会話が多くなるものだ。そういうときは、回想を入れるチャンスだ。会話の中で過去を振り返ったり、(主人公たちにとって)懐かしい単語が出てくることがあるかもしれない。暇な時間ならいくら回想が長くなっても問題ないので、1話分くらい枠をとっても良いかもしれない。

 そして、せっかく回想に入るのであれば、回想から戻ったときの展開も考えると良い。ベタなものとしては、回想していて気が付かない主人公に対してイタズラをするとか。そういうちょっとした遊び心の積み重ねが、作品の良さに、読者の心をつかむのに繋がってくるのだ。

 回想を入れるときのコツとしては、そのあとの展開にある程度関係していることを書くと良い。この後起こるであろう出来事に対する主人公の思いを、回想として書くのだ。主人公に対する読者の共感が大きくなり、読者は納得するし、より物語を楽しめるだろう。f:id:ReotoAoki:20200513231939p:plain

 

 

 どうだっただろうか。今思いつくのはあらかた書いたはずだ。このシリーズ、頭の体操になるのでこれからも思いついたらやるかもしれない。 タイミングに注意と書いたが、正直(頻度はほどほどにしつつ)どんどんチャレンジしたほうが良いと思う。最近の作品は、シリアスさと日常のわちゃわちゃ感、いちゃいちゃを表現したものが多すぎる。本気でギャグを追及したり、過去を掘り下げるというのは、書き方の勉強をするよりもよほど重要だと思う。形は大事だ。この記事でもそれを紹介している。でも、そんなことより、

「いかにキャラクターを生き生き描くか」

が重要だと、私は思う。

 

 

 文字は偉大だ。上手い、下手、そんなことには縛られない。思ったことをダイレクトに、大勢に伝えることができる。「面白い」文章(物語も含める)を書くときに本当に必要なのは、技術でも人脈でもない。ただ「書き手の人生経験と感覚、想像力」。これに尽きるのだ。経験をするのだ。そこにヒントがあるはずだ。