オレオのアニメ・ラノベ・ネット小説評論とか

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「なろう系異世界小説」で「ステータス」を設定するのは損ではないか1

  皆さん初めまして。オレオというものだ。これからアニメやライトノベルについて思ったことを書いていこうと思う。少しでも共感や批判をしていただけると嬉しい。

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こんな子が好き。

 

 「小説家になろう」で様々な作品を読んできた。今日はその中で、「異世界ファンタジー」系統の作品によくある「ステータス」について思ったことを書いていこうと思う。

 

 そもそもゲームで使われる「ステータス」は、キャラクターの情報や能力を数値や文字で表したものである。これは、人間やモンスターなどのキャラクターの強さや成長過程をコンピューターで再現、可視化したものだ。現実の生物の状態や能力を全て数値で表すのは2020年3月現在では不可能だと思うし、何より私たち素人がリアルタイムで著しく変化する数値を把握するのは無理だ。だから、ゲームの「ステータス」は、現実の人間に比べて数値が簡略化されていて、わかりやすくなっている。

 

 例を挙げよう。例えばHP100(ここではHPが0になると死ぬとする)のキャラクターが、30のダメージを受けたとしよう。ゲームでは、「あと耐えられるのは2回か」程度にしか考えないが、現実の人間ではどうか。やってみたことがないのでわからないが、おそらく一撃で3割もの体力を削られる(腕の欠損か横腹を斬られるくらいだろうか)となれば、歴戦の猛者でも戦闘力がかなり落ちるし、素人なら確実に意識を失うだろう。さらに、出血によって、どんどん死に近づいていく。もし魔法のようなもので怪我が治ったとしても、大きなトラウマを抱えるに違いない。このように、ゲームで「ステータス」として表示されている情報程度では、生物のデータを示すのは無理だといえるだろう。

 

さて、それらを踏まえて、なぜ異世界ものの小説やアニメで「ステータス」を設定すると損なのかを説明しよう。

 

1.ちゃんと定義しないと簡単に矛盾が発生する

 

 先ほども書いたように、「ステータス」で生物を再現するのは無理がある。ここでそれを解消するために異世界小説でよくありがちなのが、「ステータスは悪魔で外見上だけの数値で、やり方次第(例えば走り方や剣の振り方、力をこめるかどうかなど)で強さは変わる」だ。まあ、言いたいことはわかるのだが、それなら数値の基準はどうなっているのか、非常に気になるところである。

 

 例えば、足が速い人というのは、そうでない人に比べて全身を鍛えているだろうが、速く走るための走り方も研究しているのだと思う。達人は、凡人とは方法が違うのだ。身体能力に任せているわけではない。

 

 そうとなると、「ステータス」における速さは何を表しているのだろうか。同じ走り方で走った結果を表しているなら、足が速い人が手を抜いているか、効率的な走り方を知らない人もその走り方をしていることになる。その人が知っている全力疾走を表しているのなら、やり方次第でそれ以上高くなることはないということになる。ここを詳しく決めておかないと、読者としては「なんでこいつステータスで負けているやつより強いの?」ということが簡単におきてしまうのである。

 

今日はここまでにして、続きは次回書くことにする。今回の理由だけだと、損というよりダメだと言っているように見えてしまうが、損だといえることはちゃんと次回書くつもりだ。