異世界ファンタジーにおける「人間及び人型生物」以外の生物の生息地に物申す
自称アニメ・ラノベ評論家。オレオだ。タイトルではあまり意味が分からないかもしれないので、ちゃんと書いておこう。
異世界系小説に存在する「人型の話したり国を作っている生物」以外の生物の生息地において、場所によって明らかに弱い生物が集まる、強い生物が集まるのはおかしいのではないか。
こういうことである。
今私たちは、かなり開拓されて人間が住みやすいように改造された土地にいるから、ジャングルやサバンナといった外国の未開拓地にいかないと野生の大型動物を見る機会は少ないだろう。他の生物がどのように生活しているのかはすぐにピンと来ないかもしれない。
だが、少し考えれば想像できるだろう。虫が植物を食べ、それを肉食の虫や小型の動物が食べ、さらにそれを大型の動物が食べる。大型の草食動物は、大型の肉食動物に食べられる。とても簡単な食物連鎖だ。
異世界の生物が地球の生物と同じようにエネルギー源として他の生物を必要とするなら、小型から大型まで、つまり弱者から強者まで様々な生物が近くで生活していないとおかしいのだ。
なぜなら、強者グループだけで生活をしていたら、弱者グループにいる食料を食べることができないからだ。より簡単に食料を得られる場所を求めて移動していくのは生物なら当然だと私は考える。
さて、なぜ異世界では主人公が最初に降り立った地にいる生物が弱くて、離れた場所に行くと強くなるのだろうか。
結論を先に書こう。ほぼ間違いなくRPGに引っ張られているせいだ。
主人公を育てて強くすることでストーリーを進めていく「ドラゴンクエスト」などのRPGは、終始難易度があまり変わらないように、ストーリーを進めていくに連れて、敵キャラクターも強くなるという仕様が存在する。これがあるおかげで、主人公は強くなっていって達成感があるが、その後も簡単に進むことができないようになっているのだ。逆に序盤にでたらめな強さの敵に見つかって理不尽な死に方をすることもない。(そうでない作品も存在する)
これはゲームとして遊ぶなら良い仕様であるが、実際の世界として見てみるとどうしても違和感がある。理由は先ほど述べたとおりだ。
せっかく自分で世界観を構築するのだから、ゲームの設定にとらわれず、もっと自由に発想してよいと思う。最初に降り立った地にゴブリンがいてもいいが、近くにティラノサウルスがいるとか、大きな湖に鳥や魚がいれば、そこには水を飲みにきた首長竜がいてもいいと思うのだ。
異世界はご都合主義が多すぎる。世界が「生きている」というほどのものにするために、主人公がかかわるごく一部の地形や人間だけでなく、もっと他の生物にもスポットを当ててみるのもよいのではないだろうか。
また、地球では人間が食物連鎖の頂点にいるような気がしてしまうが、想像の世界には人間より強い生物や文明はいくらでも作り出せる。人間が細々と生きている世界観に主人公を放り込んでみるのも一興ではないだろうか。
異世界は本来、散歩しているだけで永遠に発見があり続ける場所である。どこを見渡しても新しいものが存在し、今まで感じ取れなかったことが特殊な力で感じられるようになるかもしれない。
読者に、そして作者に新たな発見をさせつづける。この記事によってそんな小説を新たに生むことの手助けをすることが、私の目標であり、私の喜びである。