「なろう系異世界小説」で「ステータス」を設定するのは損ではないか2
自称アニメ・ラノベ評論家。オレオだ。前回に引き続き、「異世界ファンタジー」小説における「ステータス」について書いていこうと思う。
異世界小説・アニメで「ステータス」を設定すると損する理由
「ステータス」が存在して、自分の能力が客観的に見えてしまうと、主人公やその他のキャラクターはそれを基準に物事を判断することが多く発生する。
例えば、「俺の攻撃力は150だからこの敵なら一撃で倒せるな」とか、「この敵は防御力高すぎて攻撃通らないから戦うのやめよう」のようなことである。これは本来戦ってみなければわからないことが事前に「選択肢の中から最善の答えを確信できるほどの正確な情報」でわかってしまうということなのだ。何せ基本的に「ステータス」は急激に変化しないのだから。自分が相手に対して強い、弱い、有利、不利が事前に把握できることは、それだけで生存率を大幅に上昇させる。
また、こういう場面があったとしよう。
主人公と仲が良い別のキャラクターが、病や怪我で苦しんでいる。でも、そのキャラクターはほかの人に迷惑をかけたくなくて我慢している。
この時、主人公を含める苦しんでいないキャラクターは、苦しむキャラクターの些細な言動の変化で状況を察する能力が求められる。だが、他人の「ステータス」を確認できると、なんということでしょう。あれだけ必死に隠していても一目瞭然!という、何のドラマもない展開になってしまうのだ。
「ステータス」が閲覧できるということは、それだけで(地球人にとっては)チート能力であり、苦労や失敗の数を劇的に減らしてしまうのだ。読者としては、何でもかんでもスパッと解決してしまうのは面白くない場合が多い。
3.主人公が成長率を簡単に確認できてしまう。
経験値が溜まってレベルUP!「あれ、マジックポイントの伸びが悪いなあ。魔法の才能ないのかな。物理攻撃のスキルとるか。」と、ゲームではありがちなこと。じゃあこれを自分のこととして見てみよう。
まずレベルが1上がるごとに急激に強くなるのは人間としておかしいような気がするが、それは置いておく。
一部の「ステータス」が他に比べて伸びている、伸びていないが確認できることというのは、自分に何が向いているかが不変の数値によってわかってしまうということだ。自分に何が向いているのか、悩んでいる人は世界中にたくさんいるだろう。それを見つけるために、色々なスポーツを体験してみたり、料理をしてみたり、外国に渡ってみたり。たくさんの経験のなかから、自分の答えを探していくのだ。
でも、「ステータス」でそれがわかってしまったら?自分の向かうべきところへ一直線。寄り道なんかいらない。悩む必要もないということになってしまう。それでは小説にするには味気ないものになってしまうだろう。
今日はここまで。続きは次回にしよう。書きたいことは山ほどあるのだが、まだタイピングに慣れていないせいで時間がかかってしまうのだ。あと1、2回でまとめられると良いな。ちゃんとまとめておけ。未来の私。