オレオのアニメ・ラノベ・ネット小説評論とか

主にネット小説に関するアイデアを投稿しています。もし気に入ったものがあれば、自由に使っていただいて構いません。よければ、Twitterに、執筆している作品の紹介とともに連絡してみてくださいね。

新・「なろう系異世界小説」で「ステータス」を設定するのは損ではないかpart4

 自称アニメ・ラノベ評論家、オレオだ。今までこの挨拶をずっとしてきたわけだが、よく考えると評論家の後に句点を打つのはおかしいと思ったので、読点にした。多分こちらが正解だろう。今までの記事を直すのは面倒なので、このシリーズのパート1からこれで行こうと思う。

 

 

 前回の続きだ。もう前置きすることがなくなってしまったので、ちょっと好きな色の話をしよう。私は、緑色がとても好きだ。緑が好きな人は「穏やか」だと色々な本に書いてあったが、私は穏やかなのだろうか。好きなもののメロンや森の色に惹かれているだけのような気がするのだが。

 では、本題に入る。

 

〇損な理由④「人間が本来持ち、小説で1番表現すべきものが欠けてしまう」

 

 抽象的な言い方になってしまった。せっかくなので、主人公が自分の、そして他人や他の生物のステータスを見ることができると、何が欠けるかを考えてみてほしい。決まったら、次へいこう。

 私は

「今やっていることや未来に疑問を持ったり、他人のことを考えてみたり、生きるために何をすべきか迷ったりすること」

が欠けてしまうと思っている。もしも、何をわかったようなことを、と気を悪くしたなら申し訳ない。まあわかりやすく言うと、これは「人生」そのものだと、私は考えている。

f:id:ReotoAoki:20200824232311p:plain

 さて、もしもあなたがファンタジー世界でステータスを見ることができて、その情報が100%信用できるとしたら、どのように使うだろうか。

 私が思いつく主な用途としては、

 

・敵対する生物の強さを確認し、安全かどうか確かめる

・食材が安全かどうか確かめる

・けがや病気がどの程度危険なものなのか調べる

・仲間がいるなら、その人(またはその他の生物)の健康状態や能力を把握する

・自分の成長を確認し、何が向いているのかを判断する

 

などだ。ステータスが出てくる作品を読んでいる方なら当たり前のように浮かぶ答えだが、実際に想像してみると、生きる上で明らかに過剰な情報量であることがわかるだろう。便利すぎるのである。

 

 あ、「~すぎる」という言葉が出たので少しこれについて話させてほしい。本編とは無関係なので、興味のない人は読み飛ばしても構わない。

 若者中心に大きな使用率を誇っていた「~すぎる」という言葉だが、最近はSNS以外でも、テレビ番組で非常に多く目にするようになった。私は、この「とりあえず~すぎるって言っておけば食いつく」という考えが、とても嫌いだ。

 まず第一に、「~すぎる」は良い言葉ではなく、悪い言葉だ。最高、もしくは最低の状態を超過し、逆効果になってしまう場合に使われるものである。だから、見ていて違和感があるし、浅はかな考えが透けて見えるので、気分もあまりよいものではない。

 さらに、「~すぎる」がなくても、程度を表す言葉はいくらでも存在する。それらの言葉を、1つの安易なものに頼ることで失うのは、ものすごくもったいないことである。そんなことだから、ボキャブラリーが足りないと言われるのだ。特に小説を書いているというのであれば、色々な表現を、効果的に使えるように努力すべきだと、私は思う。

 

 すまない。元の話に戻そう。

 ステータスが見えてしまうことで、例えば、「自分が向いていることと向いていないことが、少しの体験でわかる」や、「物事の難易度が簡単にわかってしまうので、失敗をすることなく生きることができる」といった人間になってしまうのだ。そうなれば、今や未来に悩むことや、思わぬ失敗をすることが格段に減ることだろう。

 嫌なことはしたくない、無駄な努力はしたくない。そんなことはだれでも思うことだから、それなら「人生イージーモード」でいいじゃないか。と思う人もいるのかもしれない。特に、失敗を続けてきた人はよりそう思うだろう。

 でも、本当にそうなのだろうか。私は、そのイージーモードに惹かれるのは

「自分がすでに失敗を経験していて、それから解放されたいという一時的な欲」

だと、考える。なぜなら、実際にそんなことがこれから一生続くとしたら、後々の人生は「感動が何一つない、単なる作業」になると思うからだ。これ以上詳しく説明する必要はないだろう。ともかく、私はそんなことは絶対嫌だ。それに、

「小説という、主人公の苦悩や成功を描くことで読者の心を動かす作品」において、それをするのは間違っているのではないか、というのが私の結論である。

 

 

 この「新・ステータス」シリーズは、今回で終了だ。私がブログを始めた理由を見つめなおすと同時に、たった数か月ではあるが、成長と考え方の変化を確認することができた。

 この記事を更新したら、先日Twitterで募集した最近の「ステータスありファンタジー小説」を読んでみようと思う。新たな発見があることに期待したい。

 

 

 今回、初めて途中に別の話題を書いてみたのだが、読みにくかっただろうか。特に要望がなければこのままいくつもりだ。

 それと、より読みやすくする方法を募集する。色があったほうがいいとか、アンダーラインがあるといいとか。そんなことを送ってくれれば、次から試験的にやっていこうと思うので、ぜひ頼む。