オレオのアニメ・ラノベ・ネット小説評論とか

主にネット小説に関するアイデアを投稿しています。もし気に入ったものがあれば、自由に使っていただいて構いません。よければ、Twitterに、執筆している作品の紹介とともに連絡してみてくださいね。

私がたまに感じる「空間の気」について語ってみる

 自称アニメ・ラノベ評論家、オレオだ。今回は、小説の話ではなくて、私自身の話をしようと思う。

 このブログを見てくれている方々に、更新頻度が減っていることをこの場でお詫びしたい。また、勉強やその他の生活により、今後もこの程度の頻度になってしまいそうなことをお伝えしておく。

 今回もそうだが、しばらくの間は「ネット小説関連の話題」があまり出ないかもしれない。思いついたことがあれば小出しにすることはあると思うが、まだ何か月も続けて書くような大きなテーマやジャンルを決めることができていないのだ。小説を読む時間自体もなかなか取れない。時間はかかってしまうと思うが、気長にお待ちいただけたい。

 その間は、日々感じたことを書くことが増えると思う。できるだけ小説のネタになるように書いていくつもりなので、もし気に入ったものがあったら、執筆のお供にしていただけると嬉しい。

 

 

 もう3か月以上も前のことだが、自己紹介の記事で、「原因不明の病」にかかったことがあるということを言ったと思う。まあ別に外傷が残ったり、生活に支障が出たりしているわけではない。ただ、それからというもの、私には、所謂「気」のようなものをうっすら感じられるようになった。はっきりと自覚したのは最近だが。

 

〇私が感じた「気」の体験

 

 あなたは、例えば「この道はなんか嫌だな」とか、「この店は入りたくないな」と思ったことはあるだろうか。生きていればみんなこんなことは考えそうなものだが、その中で、「人も、見た目も、音楽も、空気も。何も変ではないはずなのに気になる」という経験はないだろうか。

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 つい先日、私はこれを体験した。そこは、何の変哲もない市民会館の会議室。ホワイトボードがあって、長机がたくさん置いてあるやつだ。私はそこにアロマセラピーの講座を受けに行ったのだが、他の人は何も気にしていないのに、なぜか落ち着かなかった。

 久々の勉強会ということもあって多少の緊張はあったものの、それは別に特別なことではなかったし、あまり関係がない。同じような会議室にも何度も言ったことがあるが、このようなことは初めてだ。

 なんというか、圧迫感があるのだ。壁が押し寄せてくるような、そんな気配があった。

 私は閉所恐怖症なのだが、小学校の教室程度の広さはあったし、もっと狭い部屋など、山ほどある。それなのに、そこでは身動きが取れなくなったような気がしてならなかった。だから講習中ずっと肩を回したり足を動かしたりし続けていて、歩きたくてしょうがなかった。

 その話を休み時間に講習の先生にしてみた。その先生は私なんかよりもよっぽど色々なものが感じ取れるらしく(植物と話ができたりするらしい)、何か参考になるかと思ったのだ。

 そうしたら、「確かにここは悪いですね」とおっしゃった。エネルギーの流れでも見えるのだろうか。それから、何かをもった手を大きく振り回した。まるでそれはお払いのようで、それが終わってからあまり気にならなくなった。

 先生が本当にそういう力を持っているかどうかはともかく、実際に私は、「悪い空間」と「それが無くなる瞬間」を感じることができた。あれがなんだったのかはよくわからないが、これはかなり貴重な経験になったと思う。

 

〇身近に意外とあるかもよ

 

 そんなことがあったわけだが、私が他によく体験する場所として、神社が挙げられる。私は特定の神を信仰しているわけではないが、その空間に入ると、明らかに外とは違う空気が流れている気がするのである。言葉で表すならば、それは涼しく、そしてとても澄んでいる。

 神社には大木があるから空気がおいしいというのもあるのかもしれないが、それだけでは言い表せない何かが、神社にはあるのではないかと私は考える。もしも興味がある人は、散歩がてら行ってみてはいかがだろうか。

 

〇大半の人が認識できないだけで、オカルトは実在するのかもしれない

 

 というような感じで、私は「科学では説明のつかない何か」に足を踏み入れてしまったようだ。まあ、人間の脳はほとんどが解明されていないのだから、本来感じられるものが機能していない、という可能性は十分にあり得る。だから、私は「不思議な力」を持つ人間を否定するということは、人類の発展を止めてしまうことだと思っている。

 我々はファンタジー世界を妄想だと思っているが、そんな本当は存在しないものを考えだした人たちだって、常識から外れた何かを感じたり、見たりしたから思いついたのかもしれない。本当にオカルトチックなことを感じ取れる人がいるならば、もしくは、それを操れる人間がいるならば。いつかは魔法やスキルと呼ばれているものが普通になる、ということもあり得るのだ。

 そして、あなたももしかしたら、気が付いていないだけで他の人には感じられない何かを感じているかもしれないのである。

 

 

 こんな感じでこの話は終わりだ。どうだろうか。小説の参考になれば嬉しい。もちろん、人生に役立ててくれてもオーケーだ。頭の片隅にでも置いておいてくれ。

 

 

 さて、まだ20年も生きていない私だが、これからもお役に立てるよう、無理をしない程度に頑張っていく所存である。何か質問やテーマの要望があれば、どんどん送ってほしい。しばらくの予定は未定なので、それがあるととても助かる。