「なろう系異世界小説」で「ステータス」を設定するのは損ではないか3
自称アニメ・ラノベ評論家。オレオだ。前回の続きを書いていこう。
異世界小説・アニメで「ステータス」を設定すると損する理由
4.読者が主人公の成長を把握できてしまう。
主人公はこれまでつらい修行に耐えて耐えて、傷だらけになりながらも頑張って高みを目指し、いざ決戦の時!
こんな場面で、どのくらいその修行の成果や経験、思いが主人公に力を与えるのか。ここが作品にとって一つの山場ではないだろうか。詳しく書くと長くなるので割愛するが、こういう話を読むときは興奮が抑えきれない。
ここで、主人公は「ステータス」を確認!大体ここで主人公の反応は2パターンに分かれる。
「俺はこれだけ強くなったから大丈夫だ!」となる場合。読者からすれば、「ああそうだね。楽勝だね。」がほとんど、たまに「うぬぼれすぎでしょ。お前には荷が重すぎる。」となる場合もある。
あとは、「まだこんなに弱いけど大丈夫か・・・」となる場合。もうこっちは読者からすれば「はよやれや。どうせ楽勝なんでしょ。」としかならない。
何が言いたいのかというと、「ステータス」を見た時点で読者は結末がわかってしまうのだ。いかに主人公が白熱したバトルを繰り広げていたとしても、正直あまりおもしろくない。というか、これらの手法はネット小説を中心にごく当たり前のことになってしまっているから、新鮮さが足りないといえるだろう。興奮どころか流し読みである。
さて、ここまで3回に渡って「異世界ファンタジー系におけるステータス」が損だということを話してきたが、「ステータス」を表示することで絶対に悪い方向へ進むわけではない。実際、「ステータス」を読者に見せていても面白い作品はある。「オーバーロード」や「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」などだ。だから、「ステータス」を表示する意味を考えたうえで、どうしても必要であれば書けばいいし、そんなに必要ないと思うのなら、作者だけがわかるようにしておけばよいと思う。
それでもレベルUPで「ステータス」を上げて数字を楽しみたいというのであれば、VRMMOを舞台にした作品(こちらもかなり数があるが)を書くか、超レベル上がりやすい爽快RPGを自作してみるのもよいのではないだろうか。